2023年12月17日 (日)、東京日仏学院で開催される「Archipel Caravan」にうかがいます。
目的は飯野賢治さんのドキュメンタリーを見に行くこと。
僕が飯野賢治さんを知り、その存在にメロメロになったのは1997年。
僕がまだピチピチの15歳の頃だった。
当時読んでいたファミ通という雑誌に彼の書いた本の広告が出ていた。
「僕はただ面白いものが作りたい」――だったと思う。
彼の写真と共に書いてあった力強いキャッチコピーに興味を惹かれた。
でも、そのときはまだ「よくファミ通に出ている人だけど本なんて書いているんだなぁ」とか「おじさんだと思っていたけど27歳なんて若いんだなぁ」ぐらいの感覚でしかなかった。
その広告のイメージだけが頭にあって本を読んでみたいとは思っていなかったんだけど、当時自宅の最寄り駅の前にあった書店でなんかの本を買いにいったときに目について、何気なく手に取りペラペラとめくってみた。
高校中退~十代で社長になった話の辺りだったと思う。
読んで1分ぐらいで衝撃を受けて、即購入。
続きが読みたくて走って帰った。
無我夢中で読んで、その日のうちに読破した。
それがスタート。
“ゲーム”が始まった。
本の中で飯野さんが中学生の頃に方法序説という哲学書を読んで覚醒したというエピソードがあったけど、この本は僕にとってはまさに彼にとってのそれと同じで、世界に革命をもたらしてくれる本だった。
当時の僕には主体性がなく、思考が完全にストップしていた。
将来のビジョンだとか自分の考えなんて何もなく、高校に毎日通ってはいたものの、みんな行くものだから行っていただけだった。
そんな僕の目に飛び込んできた飯野さんは、当時の僕と一年か二年しか変わらない年齢の頃に自らの考えで高校を中退し、会社を興していた。
僕は高校を辞めるなんて考えたこともなかったし、彼のように小、中の頃から自分の感覚や感性で何かを得ようとしたこともなく、ただ漫然と学校へ行って勉強をしてテレビを見てゲームをして毎日が過ぎていくだけだったので、その圧倒的な差に愕然とし、焦った。
僕も飯野さんのように自らの意思で考えて生きていかなきゃいけないと思った。
でも、自らの考えで生きていなかった僕にはその手段が分からず、自発的に動いていたつもりでも今にして思えばただ飯野さんのマネをしていただけだったな。
雑誌の記事やラジオで飯野さんが好きだと語ってくれた音楽や芸術に追随するように触れ、同じような感慨に浸ることで自分も自分で考えて生きている人間になれたような気がしていた。
ただの狂信的な飯野さんファンでしかなかったんだけど、でもそんな行動の一つ一つが自分の血となり肉となり感性になったわけで、本当に良い人にハマったなと思う。
特に思うのが、尖った最高にカッコいい人だったんだけど、それでも善良で優しい人だったのが良かった。
そんな風に振り返ってみるとやっぱり彼がこの人生を作ってくれたなと思う。
飯野さんには直接会って名刺をいただいたこともある。
サインをいただいたことも少しのメールのやり取りをしたこともあったけど、あくまで一人のファンでしかなく、きっと彼は僕の顔も名前も記憶していなかったと思う。
それでも熱狂的に崇拝し続けていた。
ヨシナガさんとのトークショーも行ったし、彼がクラブでDJしたのも見に行った。
でも、ストーカーではない。
友達になりたかったわけじゃなく、崇めていたかった。
でも、彼が亡くなってしまった。
2013年。
夜中にその記事を見て、全身から血の気が引いたのを覚えている。
それから今年で十年。
その間に僕は結婚し、子供も出来た。
学生時代に3年間付き合って振られた彼女のことなんて今は全く思い出しもしないけど、飯野さんのことはずっと思っている。
彼が亡くなった年にあった「飯野賢治に学ぶ」なんて会も最後の一回だけを残して全部参加していた。
でも、それっきりだったな。
思いついたときに「飯野賢治」で検索しているんだけど、彼の遺作「KAKEXUN」も止まったみたいだし、ファンの方がYouTubeでなんか語ったりするのを目にするぐらい(それも数えるほどしかない)。
飯野さんを追いかける人生は終わった。
でも、今年は彼が亡くなってからちょうど10年だからドキュメンタリーを作るなんて情報があったはずなのになぁ、結局なんもなかったなぁなんて思って12/12に久しぶりに検索したら、そのドキュメンタリー映画が完成したので上映会をやるって情報が出てきた。
えぇ!? マジか!??
しかも3日後の12/15、16、17日にやるって!
ちょっと待って! 聞いてないよ!
その日は日中に別のイベントのお手伝いに行く日で、そのあとの時間は久しぶりに妻が一日娘を見ていてくれるので「羽を伸ばしてきてね♡」と言っていただいていたありがたい日。
珍しく一人の時間が取れたけど何をしようかと考えながらついぞ予定の立てられなかった日。
なんて良い日をセッティングしてくださっているんだろう。
神様!
そう思った次の瞬間にはチケットを買っていた。
そして、そこから情報を調べてみると昨年飯野さんの奥さんが最後に飯野さんが作った会社の社長に就任し、今年は彼の作品のサブスク音楽配信を開始したり、ファミ通で特集記事が出たりしていたらしい。
『Dの食卓』鬼才・飯野賢治を17年間支えた“ゲームクリエイターの妻”飯野由香さんインタビュー。常に隣にいた妻だからこそ見えていたもの
全然知らなかった。
急いで全部読み漁った。
そんなこんなでもう12/15。今日がドキュメンタリー初上映の日だ。
僕は12/17にチケットを取ったので、気になるけどX(ツイッター)も何も見ずに当日を迎えようと思う。
展示も上映会もトークショーも全部楽しみだ。
なんの情報も仕入れずにその場を楽しみたいから。
会場まで結構距離があるけど、行きの時間も帰りの時間も飯野さんと自分について考える時間をいただいたと思って楽しもう。
あぁ、こんな機会を設けていただいた関係者の方々には心から感謝しております。
ひっそりと生きているけど私もあなたたちと同じで飯野さんが今も大好きな人間の一人なのです。
楽しみに参加させていただきます。
宜しくお願い致します。